世の中にはいろんな理由でいろんな言語を操る人たちがいるから、「複数の言語を話す能力」=優れている・努力の証、という側面だけ捉えるのは違うんだなと、昨日、英語で生活をし始めてそろそろ2年目で初めて気がついた。

母語、自然と身についた、教育によって身につけた、暮らすために身に着けるしか方法がなかった、そんな機会は得られなかった、何か他のことに対する努力に時間を当てた、色々、色々あるよね。

私は私の人生を進めていきたい方向において、英語を操る能力が私の力になると思うからもっと英語が上手くなりたいと思うけど、仮に数年後にそうなれたとして、絶対にそうじゃない人を下に見て優越感に浸らないでほしい。それは正しくないと思ったから忘れないように今書いてる。みんながみんな置かれている状況は違うから、優越感なんてものはほとんど限られたシチュエーションでしか発動させちゃいけないものなのでは、とか思い始めた。(全てのバックグラウンドが一緒でせーので始めたことの結果に対する評価とか?それで片方が努力をよりできて結果を残せたとしてもそれはより努力をできる環境にいれた、っていうラッキーでしかないかもだからやっぱり優越感てよくわからない言葉だな。)嫌だったら全然環境を変えればいいし。

 

ニコニコとしていられる努力を